2016年5月22日日曜日

御坊市語源


御坊市の由来・語源




■御坊市(ごぼうし)は、和歌山県中部に位置する市。和歌山県紀中・日高地域の中核都市である


■市名は、浄土真宗本願寺(現在では西本願寺)の日高御坊(現本願寺日高別院)が約400年前に建立され、地元民がそれを御坊様と呼び親しんだことに由来する。その後寺内町として発展し、現在もその面影を残した街並みが残る


■御坊市出身の有名人
・橋本歩(長距離陸上選手)
・酒本憲幸(サッカー選手。セレッソ大阪)
・木村山(大相撲力士)
・二階俊博(衆議院議員)


略歴・経歴(プロフィール)
■二階俊博(にかい・としひろ)
政治家、衆議院議員。衆議院予算委員長、自民党総務会長などを歴任。運輸大臣(第75・76代)、北海道開発庁長官(第69・70代)、経済産業大臣(第6代・9代・10代)、保守新党幹事長、和歌山県議会議員(2期)などを歴任。1939年2月17日生まれ。和歌山県御坊市出身。中央大学法学部政治学科卒業。代議士秘書、和歌山県議会議員を経て、1983年、旧和歌山2区から衆議院議員総選挙に立候補し初当選した

ラムネ語源

ラムネの由来・語源・発祥




■ラムネは、日本で広く愛飲される清涼飲料水である。名称はlemonade(レモネード)の転訛が由来


■ラムネという名称は、イギリスからもたらされたレモネードが転訛したもの


■独特な瓶の意匠もこのとき同時に持ち込まれたもので、明治初期に神戸旧居留地のシム商会が日本で初めて製造と販売を行なった


■明治554日(187269日)には日本人に初めてラムネ製造の許可が下り、のちに54日は「ラムネの日」となった


■日本の主なラムネ製造メーカー
・川崎飲料
・ハタ鉱泉
・トンボ飲料
・木村飲料
・トレボン食品


■川崎飲料株式会社(かわさきいんりょう)は、日本の炭酸飲料製造企業。2009年に創業80周年を迎えた。ラムネと地サイダーを主要生産品目として生産しており、本社工場は神奈川県川崎市川崎区にある。製造するラムネ用に昔ながらのリターナブル瓶を使用している



■ハタ鉱泉株式会社(ハタこうせん)は、大阪府大阪市都島区に本社を置くラムネを主とする清涼飲料水メーカーである。1946年創業。特にラムネの生産量で首位に位置し、全国シェアの半分近くを占める

賢島 語源

賢島の由来・起源・語源




■賢島(かしこじま)は、三重県志摩市の英虞湾内にある有人島で奥志摩観光の拠点となっている


■2015年現在の人口は126人


■島名の由来
江戸時代の指出帳には「かしこ山」とある。当時の農民が干潮の時、本州から徒歩(古語では「かち」と言った)で島に渡れたため「かちこえ島」と呼ばれたものが、訛って「かしこ山」→「かしこ島」となったとされる

現在の漢字表記「賢島」に改められたのは、鉄道開通の時である


■賢島に人が住み始めたのは讃岐岩製の石鏃(せきぞく、矢じり)が発見されたことから、縄文時代と考えられている。島内からは、古代の製塩跡も発見されている


■鉄道開通と共に開発が行われたが、1946年の伊勢志摩国立公園指定、1951年の志摩観光ホテルの開業を期に、近鉄による資本を中心として観光地化が進んだ


■2016年、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)が賢島で開催され、一躍有名になる


■伊勢志摩国立公園は、三重県志摩半島一帯からなる国立公園。1946年11月20日に指定された。リアス式海岸と温暖な気候による植生が特徴で、英虞湾、的矢湾、五ヶ所湾など深い入り江が多い。日本の国立公園の面積の約60%が国有地であるが、鳥羽市・志摩市の市街地のほかに神路山などの伊勢神宮の宮域林5,500haを含む伊勢志摩国立公園では90%以上が私有地である

志摩市

志摩市の由来




■志摩市(しまし)は、三重県志摩半島南部に位置する市である


■本土部は志摩半島に属し、北から西にかけては、鳥羽市、伊勢市、南伊勢町に接し、東から南にかけては太平洋に面する


■志摩市は平成の大合併の一つとして2004101日、同郡に属する浜島町・大王町・志摩町・阿児町・磯部町の5つの町が合併して生まれた


■由来
由来としては「志摩郡」の志摩であり、伝統・文化を継承する必要があることや「伊勢志摩国立公園」などの名称で全国的な知名度があることなどが挙げられる

市名候補として合併協議会で検討されたものには、英虞市(あごし、英虞湾に由来)・伊勢志摩市(いせしまし)・しま市・志摩市・美志摩市(みしまし)があった


■歴史上の人物
・九鬼嘉隆(武将)
・北条霞亭(漢学者)
・市川清流(漢学者・国学者、「博物館」の語を作った人物)
・伊東里き(明治期に北米移住に尽力)


略歴・経歴(プロフィール
■九鬼嘉隆(くき・よしたか)
1542年~1600年】戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。九鬼水軍を率いた水軍武将であり、九鬼氏の第8代当主である。志摩の国衆の一員として身を起こし、織田信長や豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍し、35,000石の禄を得た。こうした経歴とその勢威から、江戸時代には軍記物などで海賊大名の異称をとった。後に関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて自害した

2016年5月20日金曜日

シーザーサラダ 起原

シーザーサラダの由来・語源




■起源
192474日、アメリカ合衆国との国境に接するメキシコの町・ティフアナ のレストラン、「シーザーズ・プレイス」のオーナーであったイタリア系移民の料理人シーザー・カルディーニによって調理されたのが最初とされる

当時のアメリカでは、禁酒法が施行されていた。ティフアナは、ハリウッドで働くアメリカ人たちが酒を飲める歓楽街として賑わっていた

74日(アメリカ独立記念日)の夜、シーザーは、手元に残っていたありあわせの材料でサラダを作ったという。やがてこのサラダは“シーザーサラダ”として評判となり、ティフアナに押しかけるハリウッドの芸能関係者たちは、これを本国に伝え広めた

初期のシーザーサラダのドレッシングにはごく軽く火を通した鶏卵(コドルド・エッグ)が入っており、チーズはロマーノを用いていた


■日本への伝来
19491224日におこなわれた、GHQの高級将校宿舎として接収された帝国ホテルでのクリスマスイブのパーティーにおいて、シーザーサラダが提供された。これは、「サラダ」が単品料理として日本で初めて提供された場でもあった



関連情報
■シーザーサラダは、ロメインレタスを主体にしたサラダである

■ロメインレタスは、レタスの品種の1つである。硬い葉脈を持つ長細い丈夫な葉が結球する。他の大部分のレタスとは異なり、熱に耐性を持つ

■サラダとは、野菜などに塩、酢、油、香辛料などの調味料をふりかけるか、和えて盛りつけた料理の総称である


■帝国ホテルは日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「(ホテル)御三家」と呼ばれることもある

何れ菖蒲か杜若 語源

「何れ菖蒲か杜若」の由来・語源




■何れ菖蒲か杜若(いずれ あやめか かきつばた)


■意味・解説
・いずれも優れていて、優劣がつけられず選択に迷うことの例え

・女性の美しさにたとえる場合が多い

・菖蒲も杜若も、ともにアヤメ科の多年草で、その花は、どちらも甲乙つけ難い美しさであり、また、形状などが似ていて、区別するのが難しいことから生まれた

・源頼政が宮中で伝説上の怪獣ぬえを退治したほうびとして、 「菖蒲前(あやめのまえ)」という美女をいただく時、たくさんの女性の中から見つけ出せと言われ、選択に困ってよんだ歌がもとになっている、といういわれもある


■源頼政(みなもとのよりまさ)
1104年~1180年】平安時代末期の武将・公卿・歌人。摂津源氏の源仲政の長男。保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。平清盛から信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に昇り公卿に列した

2016年5月19日木曜日

調布市 語源

調布市の由来・語源




■調布という名称は昔の税金である租庸調の調(その土地の特産物を納める)で布を納めていたことに由来する。そのため以前は当地の他にも都内に幾つかの「調布」地名があった


■調布市内には布田(ふだ)、染地(そめち)など布にかかわる地名が存在する


■江戸時代までは多摩川で布をさらしていた記録が残っている


■田園調布は元は荏原郡調布村(のちの東調布町)であり、小泉八雲の雪女の調布は西多摩郡調布村(現在の青梅市長渕地区)にあった


経歴(プロフィール)
■小泉八雲(こいずみ・やくも)
1850年~1904年】ギリシャ出身の新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、小説家、随筆家、日本研究家。東洋と西洋の両方に生きたとも言われる。1896年に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗る。「八雲」は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされる。妻:セツ(島根県士族小泉湊の娘)

2016年5月18日水曜日

ドトールコーヒー 語源

ドトールコーヒーの由来・語源




■「ドトール」(doutor)とは、ポルトガル語で、「医者・博士」を意味する。つまり英語の「doctor」に相当する。創業者の鳥羽がブラジルのコーヒー農園で働いていた時の下宿先がサンパウロの「ドトール・ピント・フェライス通り85番地」であったことに由来する


■株式会社ドトールコーヒーは、主にコーヒーを扱う日本の商社(卸業)である


■コーヒー豆の輸入、焙煎加工並びに卸売販売および、飲食店の経営やフランチャイズ事業を展開している


■創業者:鳥羽博道(とりば・ひろみち)


■設立年月日:1976年(昭和51年)1月24日


略歴・経歴(プロフィール)
■鳥羽博道(とりば・ひろみち)
日本の実業家。ドトールコーヒー創業者、名誉会長。1937年に埼玉県深谷市で生まれた。深谷商業高校中退。58年にブラジルへ単身渡航し、コーヒー農園等で3年間働いたあと帰国。コーヒー会社に勤務するが、62年に独立して、ドトールコーヒーを設立した

2016年5月16日月曜日

中華思想 語源

中華思想の由来・語源




■中華思想(ちゅうかしそう)は、中国が世界の文化、政治の中心であり、他に優越しているという意識、思想。漢民族が古くからもち続けた自民族中心主義の思想である


■中華思想の「中華」は「中」と「華」からなっている。「中」は「世界の中心」を意味し、「華」は夏(か)、中国史上初に世襲王朝「夏王朝」を表し、転じて中国自体を意味する。つまり「中華」とは、世界の中心である夏(華=中国)といった意味になる


■中華思想では中国の周辺諸国は蛮夷(ばんい)、夷狄 (いてき) 等、と呼ばれる「野蛮な異民族」とされ、その地理的(方位的)所在に合わせて、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)に分類される


■日本人は中国(中華思想)から見れば「東夷」(東に住む野蛮人)となる



■夏(か)は中国の史書に記された最古の王朝。夏后ともいう。夏・殷・周を三代という。『史記』『竹書紀年』などの史書には初代の禹から末代の桀まで1417代、471年間続いたと記録されている。殷に滅ぼされた。従来、伝説とされてきたが、近年、考古学資料の発掘により実在の可能性もある

三鷹市 語源

三鷹市の由来・語源



■三鷹(みたか)の名は、かつて徳川将軍家および御三家が鷹狩を行った鷹場の村々が集まっていたことと、世田谷領・府中領・野方領にまたがっていたことに由来する(三領の鷹場)といわれている。旧三鷹村役場火災による資料焼失のため詳細は定かではない


■三鷹は武者小路実篤、三木露風、山本有三、太宰治など多くの作家たちが住んだ街として知られる



略歴・経歴(プロフィール)
■武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ)
1885年(明治18年)~1976年(昭和51年)】白樺派の代表的な小説家。詩人・劇作家・画家。東京で公卿の家系である武者小路家に生まれる。主な作品「おめでたき人」「友情」「愛と死」「真理先生」など


略歴・経歴(プロフィール)
■山本有三(やまもと・ゆうぞう)
1887年~1974年】日本の劇作家、小説家、政治家。戦後、貴族院勅選議員、参議院議員などを歴任した。『路傍の石』『女の一生』『真実一路』などの名作を著した。栃木県出身、東京帝国大学卒業

鳴かず飛ばず 語源

「鳴かず飛ばず」の由来・語源



■元々の意味
将来の活躍に備えて行いを控え、機会を待っているさま

■昨今の意味
何の活躍もしないでいるさまという意味で使われる

■由来
楚の第6代の王、荘王(そうおう)に由来する

荘王(そうおう)は全く政治を見ず、日夜宴席を張り、諫言する者は全て誅殺すると宣言した。家臣達は呆れ返ったものの諫言も出来ずに見守っていたが、3年目に伍挙が「謎かけをしたいと思います。ある鳥が3年の間、全く飛ばず、全く鳴きませんでした。この鳥の名は何と言うのでしょうか?」と言い、荘王は「その鳥は一旦飛び立てば天まで届き、一旦鳴けば、人を驚かせるだろう。お前の言いたい事は解っている。下がれ」と言った。その後も淫蕩に耽ったが、太夫蘇従が死を恐れずに諌めてきた。荘王は気だるげに「諫言すれば死罪というのは知っているな」と問うたが、蘇従は「我が君の目を覚まさせることができるならば、本望です」と答えたので、これを期に荘王はそれまでの仮痴不癲を解いた。
荘王は3年間、愚かな振りをする事で家臣の人物を見定めていたのである。悪臣を数百人誅殺し、目を付けておいた者を新たに数百人登用して、伍挙と蘇従に国政を取らせた。民衆の人気は一気に高まり、国力も大きく増大。楚は周辺諸国を脅かす存在となった

この故事からじっと機会を待つ状態の事を「鳴かず飛ばず」と言うようになった


■荘王(そうおう)略歴
? - 紀元前591年】在位:(紀元前614-紀元前591年)は中国春秋時代の楚の第6代の王。姓は羋、氏は熊、諱は侶、または旅、諡は荘。楚の歴代君主の中でも最高の名君とされ、春秋五覇の一人に数えられる。成王員(春秋五覇の一人とされる)の孫で、暴君だった商臣(穆王)の嫡子。共王審の父


楚(そ)
【? - 紀元前223年】中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした。首都は丹陽(ただし、名前が同じだけで場所は何度か変わっている)。楚の成立に関しては、漢民族の母体となった広義の黄河文明に属する諸族が移住して成立したとする北来説と、それとは異質な長江文明の流れを汲む南方土着の民族によって建設されたとする土着説がある。楚の成立に関してはさまざまな仮説があるものの、いまだに定見も有力説も定まっておらず、民衆および支配層がいかなる民族であったのかは解っていない

2016年5月15日日曜日

三方良し 語源

三方良しの由来・語源



■三方良しは「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三つの良し。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるという、近江商人の商売哲学


■三方良しの理念が確認できる最古の史料は、1754年に神崎郡石場寺村(現在の東近江市五個荘石馬寺町)の中村治兵衛が書き残した家訓であるとされる


■ただし、「三方良し」は戦後の研究者が分かりやすく標語化したものであり、昭和以前に「三方良し」という用語は存在しなかった


■近江出身の実業家
・伊藤忠兵衛(伊藤忠商事創業者)
・伊庭貞剛(住友総理事)
・越後正一(伊藤忠商事中興の祖)
・奥村綱雄(野村證券社長歴任)
・木村皓一(ミキハウス創業者)
・堤康次郎(西武グループ創業者)
・山岡孫吉(ヤンマー創業者)


略歴・経歴(プロフィール)
■山岡孫吉 (やまおか・まごきち)
1888年~1962年】農機具メーカー大手のヤンマー創業者。滋賀県出身。1912年山岡発動機工作所を創立。農業用石油発動機を開発し、ヤンマーの商標で販売する。1933年世界初の小型ディーゼルエンジンを完成。1936年山岡内燃機を設立し社長となる。1952年ヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)と改称

「政界一寸先は闇」語源

「政界一寸先は闇」の由来・語源



■川島正次郎(自由民主党副総裁、自由民主党幹事長など歴任)の言葉


■この言葉の真意について、読売グループ会長の渡辺恒雄にこのように語っている
「一寸先も読めないような奴は政治家ではない。少なくとも6ヶ月先まで読めなければ政治家ではない。一方、6ヶ月より先のことまで予言できるというのは、これまたインチキだし、ありえない。これが自分の真意だ」



略歴・経歴(プロフィール)
■川島正次郎(かわしま・しょうじろう)

1890年~1970年】日本の政治家。自由民主党副総裁、自由民主党幹事長、川島派(交友クラブ)領袖、国務大臣北海道開発庁長官、国務大臣行政管理庁長官、国務大臣自治庁長官などを歴任。唯一の子供であった正孝(まさたか)を11歳で亡くしているため選挙地盤を親族から継ぐものは無く、直系の県議だった染谷誠が国政転進で受け継ぐことになった。また派閥は、後藤新平を通じて盟友となった椎名悦三郎が継承した。政治的基盤は大甥の平山秀善が受け継いだ

2016年5月14日土曜日

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」語源

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の由来・語源



■マッカーサー元帥の名言として伝えられる

■終戦直後の日本を占領した連合国軍の最高司令官マッカーサー元帥は、朝鮮戦争が勃発すると国連軍総司令官に任じられ、不利な戦況を逆転したものの、戦争の遂行方針をめぐってトルーマン米大統領と対立し解任された

■その10日ほど後の1951419日、米上下両院の合同会議で行った演説の末尾に、元帥はこの文句を盛り込んだ

■しかし、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という文句はマッカーサー元帥のオリジナルではない。第一次世界大戦時に、兵士たちの間で流行っていた歌の一説から引用して言ったものである



略歴・経歴(プロフィール)
■ダグラス・マッカーサー

1880年~1964年】アメリカ陸軍の将軍(元帥)、GHQ 最高司令官。アーカンソー州生まれ。長期にわたるアジア勤務経験を有し、対日戦を指揮後、強烈な個性をもって占領下の日本に君臨した連合国最高司令官

両班 語源

両班(りょうはん)由来・語源



■兩班(りょうはん。양반ヤンバン・韓国)

・高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚機構・支配機構を担った身分階級のこと

・高麗時代に両班が作られた時は身分階級ではなく官僚制度を指す言葉だった

李氏朝鮮時代は階級の最上位に位置した。時代とともにその数は増え、多くの人が両班の末裔を自称している

・現在の韓国人の大多数が両班の血を引くと自称しているが、族譜を見れば大体分かる




■高麗(こうらい)は、918年に王建(太祖)が建国し、936年に朝鮮半島を統一して、1392年まで続いた統一王朝である。都は開京。朝鮮を表す「Korea(英語)」、「Corée(フランス語)」などの語源ともなった

■李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。李氏朝鮮は比較的古い表現であり、最近は朝鮮王朝と呼ぶことが多い


青瓦台 語源

青瓦台の由来・語源



■青瓦台(せいがだい、チョンワデ)は、韓国のソウル特別市の北岳山の麓に所在する大統領官邸の異称である


■英語ではホワイトハウスのようにブルーハウスとも呼ばれている。新聞報道等では、漢字で略して「靑(青)」と呼ばれることが多くある


■名称の由来は官邸の屋根が青い瓦であることから来ている


■国防上の理由から、一部の外国人向け観光地図を除いて、地図上には記載されていない


■この場所は、もともと高麗(こうらい)時代に王族が住んだ地域であり、その後、李氏朝鮮王朝の太祖李成桂により作られた景福宮の一部である



■李氏朝鮮(りしちょうせん)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。李氏朝鮮は比較的古い表現であり、最近は朝鮮王朝と呼ぶことが多い。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる

むごい(酷い) 語源

「むごい」の由来・語源



■酷い(むごい)

【意味】
・見るにたえないほど痛ましい。残酷である
・思いやりがなくひどい。無慈悲だ
・程度が限度を超えている。はなはだしい

【由来】
元寇が壱岐・対馬の人々を捉え、女性の掌に穴をあけて船ばたに吊るしたという記録が残っており、「むごい」という言葉は「蒙古(もんご)い」からきたという説がある
参考文献:『戦略的思考とは何か』(著者:岡崎久彦 中公新書)


■元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である

略歴・経歴(プロフィール)
■岡崎久彦(おかざき・ひさひこ)

1930年~2014】外交官。元タイ大使。大連生まれ。東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、外務省入省。ケンブリッジ大学経済学部卒業。情報調査局長、在サウジ・アラビア大使。在タイ大使などを歴任。千代田化工建設特別顧問、博報堂特別顧問。作家、外交評論家として活躍した

「勇気と真心をもって国民に真実を語る」語源・由来

「勇気と真心をもって国民に真実を語る」
注釈:渡辺美智雄(政治家。副総理、蔵相、外相を歴任)の政治信条

■昨今、石破茂衆議院議員がこの言葉を引用して使っている


略歴・経歴(プロフィール)
■渡辺美智雄(わたなべ・みちお)
1923年~1995年】自民党の政治家。副総理、蔵相、外相などいくつもの大臣職を歴任。派閥の領袖。税理士。「ミッチー」の愛称で親しまれた。栃木県大田原市出身。東京商科大学(現・一橋大学)附属商学専門部入学。翌年秋に繰り上げ卒業し、学徒出陣。復員後は、進駐軍相手の通訳、讀賣新聞記者、行商の会社設立や税理士事務所開設を経て、19552月に自民党公認で栃木県議会議員選挙に立候補し当選。1963年、衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補し、初当選


略歴・経歴(プロフィール)
■石破茂(いしば・しげる)
政治家。防衛庁長官(第6869代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自民党政調会長(第52代)などを歴任。父親は建設事務次官、鳥取県知事、自治大臣兼国家公安委員会委員長などを歴任した石破二朗。鳥取県八頭郡八頭町郡家出身。慶応義塾大学卒業。現・三井住友銀行入行。29歳で衆議院議員選挙に鳥取全県区から立候補し初当選。自民党、新党みらい、自由改革連合、新進党などを経て自民党に復党した

四面楚歌 語源

四面楚歌の由来・語源



■四面楚歌(しめんそか)

【意味】
四面楚歌とは、周囲をすべて敵に囲まれて、味方が一人もおらず孤立していること


【由来】中国前漢時代の史書『史記(項羽本紀)』の故事による。 その故事とは、楚国の項羽が垓下(がいか)というところに追い詰められ、漢軍に周囲を取り囲まれた。 項羽は夜更けに四面を囲む漢軍が楚の国の歌をうたうのを聞き、楚の兵たちが漢に降伏したと思い絶望したというものである



項羽(こうう)略歴
【紀元前232年~紀元前202年】秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時『西楚の覇王』と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。項羽は、楚の将軍であった項燕の孫で、項嬰の子。項氏は代々楚の将軍を務めた家柄であった。項羽は両親を早くに亡くしたため叔父の項梁に養われていた。身長が9尺(約207センチ)の大男で、怪力を持っていたとされる