賢島の由来・起源・語源
■賢島(かしこじま)は、三重県志摩市の英虞湾内にある有人島で奥志摩観光の拠点となっている
■2015年現在の人口は126人
■島名の由来
江戸時代の指出帳には「かしこ山」とある。当時の農民が干潮の時、本州から徒歩(古語では「かち」と言った)で島に渡れたため「かちこえ島」と呼ばれたものが、訛って「かしこ山」→「かしこ島」となったとされる
現在の漢字表記「賢島」に改められたのは、鉄道開通の時である
■賢島に人が住み始めたのは讃岐岩製の石鏃(せきぞく、矢じり)が発見されたことから、縄文時代と考えられている。島内からは、古代の製塩跡も発見されている
■鉄道開通と共に開発が行われたが、1946年の伊勢志摩国立公園指定、1951年の志摩観光ホテルの開業を期に、近鉄による資本を中心として観光地化が進んだ
■2016年、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)が賢島で開催され、一躍有名になる
■伊勢志摩国立公園は、三重県志摩半島一帯からなる国立公園。1946年11月20日に指定された。リアス式海岸と温暖な気候による植生が特徴で、英虞湾、的矢湾、五ヶ所湾など深い入り江が多い。日本の国立公園の面積の約60%が国有地であるが、鳥羽市・志摩市の市街地のほかに神路山などの伊勢神宮の宮域林5,500haを含む伊勢志摩国立公園では90%以上が私有地である
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